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先日、有馬の「秘境」、鼓ケ滝の上流を探検する催しがあり、参加する事が出来ましたのでレポートします。なぜ「秘境」かというと、今回特別に有馬保勝会(有馬の自然を守る為のNPO法人)の方々の先導で探検できましたが、鼓ケ滝の脇の登り口は切り立った崖で、危険もあり、現在は立入禁止になっており、踏み入る事が出来ず、昭和13年の阪神大水害の時に崩れた部分を修復して以来、つい最近になってNPO法人有馬保勝会の方が踏み入るまでの60数年の間に、立ち入った人がほとんど無いからです。

元々は鼓ケ滝の左横の崖に手すりの付いた階段があり、登って滝の上の不動明王の祠に参拝したり、一段上にある夫婦滝を見物出来たそうです。水害後階段も無くなり、崩落した鼓ケ滝が修復されて以来、60数年間、立ち入った人のほとんど無い「聖域」。保勝会の方が踏み込むに当たって最初に心配したのは、白骨死体などがあるのではないかと言う事だったそうです。(幸いにもその心配はありませんでした。)さていったいどうなっているのでしょうか。いざ出発。
昔の絵葉書の「鼓ケ滝」。左の崖に階段がある。
滝はもっと低かった。右の写真は昔の夫婦滝。
夫婦滝は鼓ヶ滝が低かった分、今よりも、もっと高低差があった。
鼓ケ滝左側の崖切り立った崖を鉄の梯子にしがみ付いてよじ登ると四方を岩場に囲まれた居心地のとても良い空間が在りました。不動明王の祠の跡は完全に水没して土砂に埋まっていました。切り立った岩の間を清流がひたすら流れています。岩とロープにしがみ付きながら十数メートル上流に進むと、程なく夫婦滝に突き当たりました。

長年有馬に住んでいながら、モノクロームの古い絵葉書でしか見た事の無いその姿をついに目の当たりにした感動の瞬間でした。昭和13年に崩落した鼓ケ滝の修復時に滝を高くした分土砂が埋まり、夫婦滝の高低差がかなり低くなってはいましたが、ちゃんと2本ならんで夫婦状態でした。

夏なのに驚くほど冷たい澄んだ水でした。ゴツゴツした岩場を保勝会の方が張って下さったロープを伝い夫婦滝の横を登って行きました。

奉られていたという不動明王の祠の跡は水没していた。
次から次と幾つもの小さい滝や、見慣れない草花を右に左に見ながら急で足元の悪い坂道をトボトボと上流に進みました。

いくつもの小さな滝
しばらく歩くと上流に人工的な砂防堰堤が見えてきました。堰堤横の土手をロープを伝い登りきり、又しばらく歩き今回の最終地点「高塚の清水」に到着しました。「高塚の清水」は16世紀末、豊臣秀吉が湯治に来るたびに茶の湯に使い、又わざわざ大阪城にも運ばせたと言われる伝説の水です。豊臣秀吉は、織田信長の家来として播磨方面を転戦した事が縁で、天下を取った天正11年頃から十数回湯治に訪れています。江戸初期の文献にも「いさぎよく、いとひややかにて味わいまた優れたり」と記されています。長い間人々の記憶から忘れられて何処にあるのかさえ分からなくなっていたのを、2002年春、有馬保勝会のメンバーが、伝承と古文献を元に探し出しました。2005年今現在は砂防工事区域を通らないと入れない為「高塚の清水」へは行けなくなくなっていますがこのおいしい水は工事業者さんのご好意でパイプで鼓ケ滝公園の茶店横まで引かれており、そちらでペットボトルなどで取水できるようになっています。沸かして「茶の湯」に使うときっと豊臣秀吉の気分が味わえるかも知れません。そんなこんなで、普通は立ち入れない鼓ケ滝の上流の「秘境」レポートでした。


元々は鼓ケ滝の左横の崖に手すりの付いた階段があり、登って滝の上の不動明王の祠に参拝したり、一段上にある夫婦滝を見物出来たそうです。水害後階段も無くなり、崩落した鼓ケ滝が修復されて以来、60数年間、立ち入った人のほとんど無い「聖域」。保勝会の方が踏み込むに当たって最初に心配したのは、白骨死体などがあるのではないかと言う事だったそうです。(幸いにもその心配はありませんでした。)さていったいどうなっているのでしょうか。いざ出発。


昔の絵葉書の「鼓ケ滝」。左の崖に階段がある。
滝はもっと低かった。右の写真は昔の夫婦滝。
夫婦滝は鼓ヶ滝が低かった分、今よりも、もっと高低差があった。
鼓ケ滝左側の崖切り立った崖を鉄の梯子にしがみ付いてよじ登ると四方を岩場に囲まれた居心地のとても良い空間が在りました。不動明王の祠の跡は完全に水没して土砂に埋まっていました。切り立った岩の間を清流がひたすら流れています。岩とロープにしがみ付きながら十数メートル上流に進むと、程なく夫婦滝に突き当たりました。


長年有馬に住んでいながら、モノクロームの古い絵葉書でしか見た事の無いその姿をついに目の当たりにした感動の瞬間でした。昭和13年に崩落した鼓ケ滝の修復時に滝を高くした分土砂が埋まり、夫婦滝の高低差がかなり低くなってはいましたが、ちゃんと2本ならんで夫婦状態でした。

夏なのに驚くほど冷たい澄んだ水でした。ゴツゴツした岩場を保勝会の方が張って下さったロープを伝い夫婦滝の横を登って行きました。

奉られていたという不動明王の祠の跡は水没していた。
次から次と幾つもの小さい滝や、見慣れない草花を右に左に見ながら急で足元の悪い坂道をトボトボと上流に進みました。


いくつもの小さな滝
しばらく歩くと上流に人工的な砂防堰堤が見えてきました。堰堤横の土手をロープを伝い登りきり、又しばらく歩き今回の最終地点「高塚の清水」に到着しました。「高塚の清水」は16世紀末、豊臣秀吉が湯治に来るたびに茶の湯に使い、又わざわざ大阪城にも運ばせたと言われる伝説の水です。豊臣秀吉は、織田信長の家来として播磨方面を転戦した事が縁で、天下を取った天正11年頃から十数回湯治に訪れています。江戸初期の文献にも「いさぎよく、いとひややかにて味わいまた優れたり」と記されています。長い間人々の記憶から忘れられて何処にあるのかさえ分からなくなっていたのを、2002年春、有馬保勝会のメンバーが、伝承と古文献を元に探し出しました。2005年今現在は砂防工事区域を通らないと入れない為「高塚の清水」へは行けなくなくなっていますがこのおいしい水は工事業者さんのご好意でパイプで鼓ケ滝公園の茶店横まで引かれており、そちらでペットボトルなどで取水できるようになっています。沸かして「茶の湯」に使うときっと豊臣秀吉の気分が味わえるかも知れません。そんなこんなで、普通は立ち入れない鼓ケ滝の上流の「秘境」レポートでした。


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