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先ずは写真を紹介します。水辺の東屋に子供達がいます。

女の子は着物ですが男の子は当たり前の様に裸です。

この大判サイズの写真は明治時代のもので”横浜写真”と言われた外国人観光客向けのものです。写真右下にはARIMAと文字が入っています。
ところでここは有馬の何処でしょう?船が浮かべてあるくらいですからそこそこの大きさの池か、川辺の様に見得ますが…。
先日郷土史に詳しい藤井清氏にお尋ねしたところ。「ああ、これは瑞宝寺公園や」とのこと。瑞宝寺公園と言えば”日暮の庭”が紅葉の名所となっていて、秋には茶会も開かれ、大勢の人が訪れるあの場所です。石垣との位置関係から見る限り公園の横に流れる六甲川の河原でもない様です。どこにこんな水辺があったのでしょう。右側の石垣がヒントになるものと思います。石組みはひょっとしたら積み替えをしているかもしれませんが、多少の手掛りは残っているかも知れませんので機会があれば検証してみたいと思います。恐らく下の写真の辺りは池だったのではないかと思われます。


藤井氏によると庭は何度もレイアウトが替えられているそうです。昭和初期と思われる下の絵はがきでは庭をズドンと横切って一直線に道が付いています。


まだ今の方が趣きあるような気はしますが、しかし今の環境も、笹を植え込んであったり、歩道を舗装してあったり、紅葉にとっては決して良い環境ではないという意見もあります。

女の子は着物ですが男の子は当たり前の様に裸です。

この大判サイズの写真は明治時代のもので”横浜写真”と言われた外国人観光客向けのものです。写真右下にはARIMAと文字が入っています。
ところでここは有馬の何処でしょう?船が浮かべてあるくらいですからそこそこの大きさの池か、川辺の様に見得ますが…。
先日郷土史に詳しい藤井清氏にお尋ねしたところ。「ああ、これは瑞宝寺公園や」とのこと。瑞宝寺公園と言えば”日暮の庭”が紅葉の名所となっていて、秋には茶会も開かれ、大勢の人が訪れるあの場所です。石垣との位置関係から見る限り公園の横に流れる六甲川の河原でもない様です。どこにこんな水辺があったのでしょう。右側の石垣がヒントになるものと思います。石組みはひょっとしたら積み替えをしているかもしれませんが、多少の手掛りは残っているかも知れませんので機会があれば検証してみたいと思います。恐らく下の写真の辺りは池だったのではないかと思われます。


藤井氏によると庭は何度もレイアウトが替えられているそうです。昭和初期と思われる下の絵はがきでは庭をズドンと横切って一直線に道が付いています。


まだ今の方が趣きあるような気はしますが、しかし今の環境も、笹を植え込んであったり、歩道を舗装してあったり、紅葉にとっては決して良い環境ではないという意見もあります。
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