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名湯有馬温泉の歴史・文化に関する興味深い話や古写真などを、有馬温泉にある明治創業の土産物店吉高屋店主が趣くままに調べて紹介します。
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              『ワンダフル有馬』


1965年(昭和40年)に有馬温泉観光協会が発行した『ワンダフル有馬』という小冊子に面白い未来図が載っていたので紹介します。
『ワンダフル有馬』に見る有馬温泉の未来図

山の頂には有馬タワー。遊園地のような施設やジェットコースター。立体交差の自動車道路。大きなヘリポート。大型バスを収容できる立体駐車場。モノレールのような乗り物がいくつもの山を貫通して通っています。高速道路のインターチェンジから分岐した道路も山を貫通して一気に有馬温泉へ…。遠くに見える明石海峡には夢の架け橋が…。もちろんイメージのイラストではありますが、少なくとも、どんな物や事を未来に夢見ていたのかが何となく感じとれるのではないでしょうか。
『ワンダフル有馬』に見る有馬温泉の未来図

説明文に目を遣って見ましょう。「日本最古の歴史を誇る有馬温泉は、その規模においても施設においても、いまや日本最大といわれるまでに発展をとげた。六甲の山ふところ深く、ミドリの風に湯けむりがやわらかくとけこむ有馬特有の自然はむかしと少しも変わらない。しかし、まわりの山々の頂きにまで登りつめたホテル・旅館群やスポーツをふくめたもろもろのレジャー施設、アミの目のように張りめぐらされた完全舗装の回遊道路など、まったく目をみはるばかりの盛観を呈している。ことに、有馬温泉にとってなによりの強みは国立公園六甲山と有機的に一体化し、バラエティーに富んだ観光ルートの一環が完成したことだ。これによって有馬はだれにでもいたって気やすく、かつ十二分に楽しめる保養センターとしてますますその機能を高めることになった。今日の有馬温泉の繁栄をもたらしたもう一つの要因はいうまでもなく交通事情の発達だ。神戸電鉄の全線複線化、神戸~六甲山~有馬を結ぶ高速モノレール、六甲山上から有馬へのロープウエイ、神戸の都心から十五分の六甲トンネルの開通は数年前の話。ユメとまでいわれた明石・鳴門両海峡のかけ橋、名神高速道路につながる中国縦貫道、さらには国鉄の山陽新幹線と世紀をかざる事業が近年つぎつぎと完成した事は、自然公園・有馬温泉への道が地球のすみずみにまで直結したとしても過言ではあるまい。」

どうやら既に夢に到達しているに違いない未来に於いて書かれているであろうハズの解説であるらしい。多分に、作文の要素はあるでしょうが…。2009年現在、既に達成できた夢もあれば、モノレールや、スポーツを含めたレジャー施設、アミの目のように張りめぐらされた完全舗装の回遊道路など、残念ながらそうはならなかった夢もあります。どちらかというと、そうならなくて良かったような気がするのは私だけでしょうか。第一、今なら真っ先に求められると言っても過言ではない『温泉情緒』とか全然考えてないでしょ?

1965年といえば45年前。1958年生まれの私が8歳の時です。日本航空の海外旅行パックツアー『ジャルパック』が発売開始され、万博の大阪開催とテーマ『人類の進歩と調和』が決定された年。東海道新幹線開通し、初の国産旅客機YS-11が就航した年です。高度経済成長の真っ只中。日本中が猫も杓子も観光に沸き立った…何とまあこれ以上無いと思われる意気揚々の時代ですね。

有馬温泉でも5年後に万博を控え、旅館案内所が出来、今となっては惜しまれる木造の旅館建築がどんどん鉄筋のビルに建て替えられて行った時代です。これに先立つ1961年には、唐破風の屋根が特徴的な木造3階建ての本温泉は神戸市によって鉄筋コンクリート建築に建て替えられましたし、芦有道路(芦屋・有馬間のドライブウエイ)も開通。1967年には六甲トンネルも開通しました。そして迎えた1970年、施設改築で収容キャパシティーを格段に増やした有馬温泉は未曾有の万博景気に沸きました。日本一距離が長い六甲有馬ロープウエイが開通したのもこの年でした。時代の空気そのものが、成熟期の今とはまったく違う、トンデモナイ時代だったんですね。

45年後の2009年現在から見たらトンデモ未来図に見える『有馬の未来図』ですが、有馬、いいえ、日本中の誰もがそういう夢を見た時代だったのだと思います。考えて見ればたったその26年前に焼け跡から出発した日本だったのですから…。ありまサイダーのラベル研究でも触れましたが、ここでもやはり、人間の感性や価値観は時代背景が作り出すのだという事が分かります。町並みに『郷愁』や『温泉情緒』や『癒し』をもとめる現在の価値観も、今後絶対に変わらないとは言い切れません。

個人的な理想像ですが、50~100年後位の将来の有馬温泉は、”外見的”には、”ビル的”な建物が消滅したもっと”古めかしい”明治時代のような町並みになればいいなと思います。高層建築も何百年も前からあったかのような木造風の意匠です。太閤通りの暗渠も取っ払って滝川に日を当ててやり、両側の歩道間にはいくつも橋を架けて人が回遊できるようにするのです。相反するようですが、建築技術や、交通手段などの、より一層のテクノロジーの進歩が、逆にそれを可能にするような方向も考えられるのではないでしょうか。現在の我々が描く有馬温泉の来予想図が、50年後100年後の識者にとって『トンデモ未来予想図』で無い事を祈るばかりです。


話題は大きく逸れますが、当時子供だった私が覚えているのは、1964年放送の『0戦はやと』『忍者部隊月光』『風のフジ丸』『ビッグX』、1965年放映開始の『スーパージェッター』『宇宙人ピピ』『宇宙少年ソラン』『宇宙エース』『遊星少年パピイ』『ワンダー3』『オバケのQ太郎』『ジャングル大帝』『宇宙パトロールホッパ』等の番組の記憶です。これらは全部、白黒テレビに噛り付いて見ていた記憶がありますから、しっかりテレビっ子だった訳です。又、暗い話題ではアメリカが北ベトナムに対する爆撃を開始した年で、私と同じ名前の『よしのぶちゃん誘拐殺人事件』の犯人が逮捕された年でもあり、それ以来50歳に成った今も私は町では"その名前"で呼ばれている次第です。
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