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明治~大正・昭和にかけては西洋文化が日本に流入した時期。神戸港にすごく近い事もあり、
外国人の避暑リゾートとして栄えた為、有馬温泉にもエキゾチックな洋風建築や構造物が沢山
導入され、江戸時代以来の木造瓦葺き2階、3階建ての家並みに少しずつ変化が見られるように
なった。ビミョーにモダンな西洋の香りが入り込んだこの時期の風景が個人的にもすごく好きだ。
今回はそんなエキゾチックな要素を趣くままにピックアップする。

明治16年に完成した本温泉の浴舎。これはオランダ人設計技師ケーレツの設計。
風土に合わずペンキが剥がれ老朽化が早かった事もあるようだが、明治10年代も晩期には洋風建築
スタイルが流行遅れとなり、より格式を感じさせる御殿式が流行っていた事もあるらしく、明治24年には
再び和風宮殿造建築に建て替えしている。残念ながら写真は一枚もなく、上のような銅版画や絵図が
残るのみだ。日本で写真を印刷した“絵はがき“が出回り始めたのは明治30年代後半で、それ以前
には写真はガラス板中心で、かつ人物を写す事が多く、風景写真は少なかったようだ。)
本温泉と同じくケーレツの設計し炭酸温泉場に設置計画のあった洋風炭酸水飲用所は、先に完成した
本温泉が大不評の為、ボツになった。
明治33年からの「てっぽう水」工場。炭酸泉源すぐ下にあった。棟の3箇所に越屋根があり換気していた。
輸送の効率化の為大正6年に有馬駅前に移転。跡地は現在空き地で企業所有の駐車場となっている。

明治35年大阪の藤本清兵衛が開業した外国人専用の有馬倶楽部ホテル(有馬ホテル)は明治41年
買収により大日本ホテル株式会社の支店となる。大正4年大日本ホテルの経営不振で同じ有馬温泉
の増田ホテルの増田宇三之助経営となる。バルコニーのあるコロニアル様式で、ビリアードバーや
プールもあった。昭和2年にはここで蒋介石が宿泊し宋美麗と婚約を交わした。昭和13年の阪神
大風水害で一部流出、閉鎖となった。 明治18年に炭酸泉のある杉ケ谷付近に建築された稲荷山
ホテルは外人専用の2階建て貸し別荘が3棟並んでいたという。古い写真なのでかなり不鮮明だが、
写真で見る限り外見的には和の要素も感じさせるが、内部が白壁で洋風だったようだ。
鮮明な写真は無いが、明治36年にオープンしたキングジョージホテルも洋館だった。薄青のペンキ塗装
の建物だったそうだ。明治10年頃建てられた杉本ホテルは基本的には和風建築だが、英語看板と
手すりが白ペンキ塗装のところが部分的に洋風だ。外人専用ホテルは他にも清水ホテルや増田ホテル
などがあったが建物自体は基本的に和風だった。
時代は下るが、キングジョージホテルの一段下、温泉寺前の石段横、今の有馬ロイヤルホテルの場所
にあった町役場も和風建築に洋風の塔を設えた折衷建築だ。

大正4年にオープンした町営のラジューム温泉。インドのサラセン近世様式を取り入れた洋館建だった。
男女普通浴槽、シャワー室、蒸し風呂、休憩室、特別浴室6室、理髪室、ラドン吸入室など最新式の
設備を有していた。円形の回廊に囲まれた中庭には池もあった。まさにエキゾチックパラダイス!
ところが赤字経営だったため昭和4年神有電鉄に無償で貸与。昭和13年7月の阪神大風水害に於ける
被害で営業不可能となり取り壊された。約23年間の営業だった。跡地には土井船艇兵器工業が工場
を建て、兵器部品の製造がおこなわれた。後に旅館銀水荘が建ち、平成21年現在はシニア向けマンション
建設中である。ちなみに銀水荘楽山は道路(西)向きに建っていたが、ラジウム温泉は南向きだった。

大正4年にオープンした有馬軽便鉄道の有馬駅、大正6年に移転して来た隣接の有馬サイダー工場も
レンガ造りで洋風の近代的な設備だった。有馬軽便鉄道は大正8年に国有鉄道に買収された。
その国有鉄道有馬線も戦時中の昭和18年、国策により廃止された。車両は、篠山線での軍事輸送に
使われた。駅舎は後に老朽化の為取り壊され、跡地には昭和42年先山クリニックが移転開業。
現在ミント・リゾートイン・アリマを併設し営業しておられる。話題は逸れるが体の弱かった私は
先山先生には良くお世話になった。今の私が存在するのも、○○マイシンとかのブットイ注射のお陰だ。

明治36年に建て替えられた本温泉は明治45年の改修で屋根に換気の為の屋根を設けた。
横のスリットは洋風の様に感じる。本温泉を囲う鉄柵は明治24年以来の洋風の物がそのまま
利用されているようだ。(写真は一の湯側から。)明治36年にオープンした高級家族風呂の高等温泉
(今の阪急バスの駅の場所)は洋風の門や鉄柵に囲まれている。高等温泉の六角形の窓も
純和風ではない。建築物以外でも、高等温泉前の鉄製になった太古橋や、川沿いの道路の手すり
などは、装飾的な西洋風意匠のものだ。

大正9年兵衛旅館が旅客送迎用に自動車を購入した。大正12年曙タクシー発足。27年式シボレー使用。
大正14年神戸有馬乗合自動車が神戸の平野~有馬間に開業。昭和2年宝塚有馬自動車株式会社
が出来、宝塚~有馬間に開業。当時の車はどれも似ていて写真のがどの車種かは不明。
ご存知の方お教えください!
(次回に続く)
記載内容に間違い等あればどうぞご指摘をお願いします。
写真は大概は過去の絵はがきです。一部、郷土史家の藤井清さん提供資料、私の家のアルバム
の写真等も含まれています。
外国人の避暑リゾートとして栄えた為、有馬温泉にもエキゾチックな洋風建築や構造物が沢山
導入され、江戸時代以来の木造瓦葺き2階、3階建ての家並みに少しずつ変化が見られるように
なった。ビミョーにモダンな西洋の香りが入り込んだこの時期の風景が個人的にもすごく好きだ。
今回はそんなエキゾチックな要素を趣くままにピックアップする。




明治16年に完成した本温泉の浴舎。これはオランダ人設計技師ケーレツの設計。
風土に合わずペンキが剥がれ老朽化が早かった事もあるようだが、明治10年代も晩期には洋風建築
スタイルが流行遅れとなり、より格式を感じさせる御殿式が流行っていた事もあるらしく、明治24年には
再び和風宮殿造建築に建て替えしている。残念ながら写真は一枚もなく、上のような銅版画や絵図が
残るのみだ。日本で写真を印刷した“絵はがき“が出回り始めたのは明治30年代後半で、それ以前
には写真はガラス板中心で、かつ人物を写す事が多く、風景写真は少なかったようだ。)
本温泉と同じくケーレツの設計し炭酸温泉場に設置計画のあった洋風炭酸水飲用所は、先に完成した
本温泉が大不評の為、ボツになった。
明治33年からの「てっぽう水」工場。炭酸泉源すぐ下にあった。棟の3箇所に越屋根があり換気していた。
輸送の効率化の為大正6年に有馬駅前に移転。跡地は現在空き地で企業所有の駐車場となっている。









明治35年大阪の藤本清兵衛が開業した外国人専用の有馬倶楽部ホテル(有馬ホテル)は明治41年
買収により大日本ホテル株式会社の支店となる。大正4年大日本ホテルの経営不振で同じ有馬温泉
の増田ホテルの増田宇三之助経営となる。バルコニーのあるコロニアル様式で、ビリアードバーや
プールもあった。昭和2年にはここで蒋介石が宿泊し宋美麗と婚約を交わした。昭和13年の阪神
大風水害で一部流出、閉鎖となった。 明治18年に炭酸泉のある杉ケ谷付近に建築された稲荷山
ホテルは外人専用の2階建て貸し別荘が3棟並んでいたという。古い写真なのでかなり不鮮明だが、
写真で見る限り外見的には和の要素も感じさせるが、内部が白壁で洋風だったようだ。
鮮明な写真は無いが、明治36年にオープンしたキングジョージホテルも洋館だった。薄青のペンキ塗装
の建物だったそうだ。明治10年頃建てられた杉本ホテルは基本的には和風建築だが、英語看板と
手すりが白ペンキ塗装のところが部分的に洋風だ。外人専用ホテルは他にも清水ホテルや増田ホテル
などがあったが建物自体は基本的に和風だった。
時代は下るが、キングジョージホテルの一段下、温泉寺前の石段横、今の有馬ロイヤルホテルの場所
にあった町役場も和風建築に洋風の塔を設えた折衷建築だ。








大正4年にオープンした町営のラジューム温泉。インドのサラセン近世様式を取り入れた洋館建だった。
男女普通浴槽、シャワー室、蒸し風呂、休憩室、特別浴室6室、理髪室、ラドン吸入室など最新式の
設備を有していた。円形の回廊に囲まれた中庭には池もあった。まさにエキゾチックパラダイス!
ところが赤字経営だったため昭和4年神有電鉄に無償で貸与。昭和13年7月の阪神大風水害に於ける
被害で営業不可能となり取り壊された。約23年間の営業だった。跡地には土井船艇兵器工業が工場
を建て、兵器部品の製造がおこなわれた。後に旅館銀水荘が建ち、平成21年現在はシニア向けマンション
建設中である。ちなみに銀水荘楽山は道路(西)向きに建っていたが、ラジウム温泉は南向きだった。




大正4年にオープンした有馬軽便鉄道の有馬駅、大正6年に移転して来た隣接の有馬サイダー工場も
レンガ造りで洋風の近代的な設備だった。有馬軽便鉄道は大正8年に国有鉄道に買収された。
その国有鉄道有馬線も戦時中の昭和18年、国策により廃止された。車両は、篠山線での軍事輸送に
使われた。駅舎は後に老朽化の為取り壊され、跡地には昭和42年先山クリニックが移転開業。
現在ミント・リゾートイン・アリマを併設し営業しておられる。話題は逸れるが体の弱かった私は
先山先生には良くお世話になった。今の私が存在するのも、○○マイシンとかのブットイ注射のお陰だ。








明治36年に建て替えられた本温泉は明治45年の改修で屋根に換気の為の屋根を設けた。
横のスリットは洋風の様に感じる。本温泉を囲う鉄柵は明治24年以来の洋風の物がそのまま
利用されているようだ。(写真は一の湯側から。)明治36年にオープンした高級家族風呂の高等温泉
(今の阪急バスの駅の場所)は洋風の門や鉄柵に囲まれている。高等温泉の六角形の窓も
純和風ではない。建築物以外でも、高等温泉前の鉄製になった太古橋や、川沿いの道路の手すり
などは、装飾的な西洋風意匠のものだ。





大正9年兵衛旅館が旅客送迎用に自動車を購入した。大正12年曙タクシー発足。27年式シボレー使用。
大正14年神戸有馬乗合自動車が神戸の平野~有馬間に開業。昭和2年宝塚有馬自動車株式会社
が出来、宝塚~有馬間に開業。当時の車はどれも似ていて写真のがどの車種かは不明。
ご存知の方お教えください!
(次回に続く)
記載内容に間違い等あればどうぞご指摘をお願いします。
写真は大概は過去の絵はがきです。一部、郷土史家の藤井清さん提供資料、私の家のアルバム
の写真等も含まれています。
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