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有馬温泉とカラス

ここでは、「有馬温泉とカラス」 に関する記事を紹介しています。
                          有馬温泉を発見したという三羽ガラス

カラスが現在の様に、「ずる賢い」とか「不吉!」とか「烏合の衆」などと喩えられたり忌み嫌われるようになったのは、実は江戸時代くらいからだそうで、それまでは、「賢い」とか「山の神の使い」とか言われて大切にされていたそうです。なまじ知恵があるのと(遊んだり物まねをしたり道具を利用したり出来ることから、最も知能の発達した鳥類と言われています。)見かけが悪いばかりに実にかわいそうな鳥です。今回はそんなカラスと有馬温泉のとても深い関係を考察してみたいと思います。

一般に「ある方面、或いは、門下や部下の中の優れた三人」の事を「三羽ガラス」と言います。カラスは賢い鳥だからかもしれませんが、それだけでは何でカラスなのかスッキリしません。その語源のひとつと言われているのが有馬の古い伝説に登場する「三羽ガラス」で、文字どおり鳥のカラスです。因みにこれは有馬温泉の鎮守であり、温泉寺の守り神でもある湯泉神社に伝わるお話です。
有馬温泉 湯泉神社
湯泉神社
湯泉神社の三羽ガラスの彫刻

湯泉神社の三羽ガラスの彫刻三羽烏の彫刻

湯泉神社に最も古くから祭られている神様である大己貴命(=大国主命)・少彦名命の二神が、足を痛めた三羽のカラスが水溜りで足を浸して休んでいるのを見て有馬温泉を発見したというものです。動物が発見したとか、神様が発見したとされる温泉は数え切れないくらいありますが、カラスは珍しいです。(というか一般的に知られている温泉では他にはありません。)しかも「カラスが温泉で傷を癒すのを神様が見て発見した」なんて、一つのストーリーの中で動物と神様が絡んでくるところなど、他にはありません。(そんなところ突っ込み所じゃないって言われそうですがココが私の突っ込み所!)

実はこの「三羽ガラス」の伝説、文献としては、「古くからの言い伝え」として江戸時代頃の湯泉神社の文書に初めて登場するらしいのです。いつどんな意図でそういうお話ができたのでしょう。何で「カラス」で、何で「三羽」なんでしょう。「カラス」といえば日本サッカー協会のシンボルマークにも採用されている熊野三山の「ヤタガラス(八咫烏)」が有名ですが、こちらのカラスは同じ三でも三本足です。有馬温泉の「三羽ガラス」とは「カラス」と「三」が共通していて何か関係がありそうなので、ちょっと調べてみました。

熊野三所権現〈「権現」は、奈良時代以降の神仏習合思想で仏が民の救済の為、神の姿になって現れたとするもの。熊野信仰は平安時代以降世に広まり院制時代には上皇・法皇・貴族・権勢家の参拝が後を絶たず「蟻の熊野詣」と呼ばれた。〉=熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社)においてカラスは神の使いとして信仰されており、八咫烏は単なるカラスではなく太陽神の象徴と考えられています。熊野神社等から出す護符、牛王宝印(ごおうほういん)は、近世には起請(神仏に対する誓い)文を起こす用紙ともされましたが、これを使った起請を破ると、熊野ではカラスが三羽死に、その人には天罰が下るといわれているそうです。

牛王宝印の烏文字の一部 熊野本宮大社のヤタガラス
牛王宝印の烏文字の一部  熊野本宮大社のヤタガラス
日本サッカー協会のマーク
日本サッカー協会のマーク

話の中で八咫烏は神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたとされています。昔から、足が三本あると云われていますが、日本書記には頭が八咫(約144cm!)の烏、古事記には「大烏」と記されており、どちらにも三本足との記述は無く、後に伝わった中国の伝説に登場する三本足のカラスと一緒になっていつの頃からか脚が三本であることになったと考えられています。(大国主命と大黒天が習合した様な具合かも。)
 古来、中国では、太陽の中に三本足のカラスが住むと考えられ、また、太陽はカラスによって空を運ばれるとも考えられていました。太陽黒点が烏に見えたからとする説もあります。因みに烏龍茶の烏は太陽、龍は皇帝の象徴だそうです。太陽の象徴であるカラスの足を三本足とするのは、陰陽五行思想上、二本足だと陰数(偶数)であり表象にずれが生じるので、陽数(奇数)である三本とされました。この三本足のカラスが日本に伝わり、日本でも同じく、太陽の象徴とされたといわれているわけです
 ヤタガラスの三本足は、後に熊野大社の主祭神家津美御子大神の御神徳の「智」「仁」「勇」、又は「天」「地」「人」、或は、同地方で勢力を張っていた熊野三党、などなど後にいろいろな意味を重ねていますが、まずは熊野三山をさしているのではないでしょうか。
 調べてみると、この熊野、実は有馬温泉とは深い関係があったのです。有馬温泉に伝わる古い伝説では、「鎌倉時代(建久元年1191年)に熊野権現の霊夢によって有馬に導かれた吉野郡川上村高原の寺の僧仁西上人が、高原に落延びた平家の残党を祖とする木地師を従えやって来て、天変地異で荒廃していた有馬を再興し、薬師十二神将を象徴して十二坊の宿坊を営ませた」と云われ、仁西上人は有馬温泉を再興した恩人のひとりとされ尊ばれています。又、有馬の湯泉神社は、平安時代初期927年の「延喜式」の中には「大社」のひとつに数えられており、当初祭神は大己貴命、少彦名命の二神でしたが、いつからかは不明ながら、治承年間(1177~1180)の「色葉字類抄」にはすでに湯泉神社の熊野権現(熊野久須美命)合祀の記述があります。平安時代末期の院政時代には、熱狂的な熊野信仰者であった白川法王の有馬温泉入湯(大治三年1126年)、後白河上皇の入湯(安元二年1175年)なども記録されています。
 元々、六甲山系は、奈良時代に興り、平安時代に隆盛を極めた神仏習合の山岳宗教「修験道」の修行場の一つであったともいわれ、恐らく、熊野勧進僧、熊野修験者など布教者も、さかんに熊野合祀社、湯泉神社のある有馬を訪れていたであろうと思われます。「愛宕山」「天狗岩」「鼓ケ滝」「晴明地藏(因みに平安時代の陰陽師安倍晴明も熊野で修行している。)」など有馬の随所に「修験道」絡みと思われる痕跡が多いのがそれを物語っています。(当トピックス「有馬と風水」でもご紹介しました。

湯泉神社の重要文化財「熊野曼荼羅図」 温泉寺の傍にある行基上人像と三羽烏像
湯泉神社の重要文化財「熊野曼荼羅図」 温泉寺の傍にある行基上人像と三羽烏像
(有馬の名宝ー蘇生と遊興の文化ー 神戸市立博物館編より)

湯治とは縁が深い薬師如来をご本尊とする温泉寺
湯治とは縁が深い薬師如来をご本尊とする温泉寺  温泉寺天井画のヤタガラス
温泉寺天井画のヤタガラス

又、現在、湯泉神社には、国の重要文化財指定の「熊野曼荼羅図」(神社なのに仏教的!)が所蔵されています。(写真) 又、湯泉神社とはある意実一心同体ともいえる、仁西上人が再興したとされる温泉寺の天井画には、三本足の「ヤタガラス」そのものが、描かれているのです(お寺なのに神道的!)。(写真) そんな訳で、有馬と熊野の間には、宗教的な面で、仁西上人の再興以前、以後とも深い関係が存在したのです。
 そういった歴史的な背景を考えると「有馬温泉を発見した知恵の在る三羽のカラス」のモデルはひょっとしたら「熊野修験者」だったのかも知れません。そういえば良く知られている「烏天狗」も修験者の格好をしていますし!いや、もっと突き詰めるならば「熊野権現」そのものの象徴だったのではないでしょうか。熊野の象徴であるカラスが、三本足から、三羽へ形を変えて有馬温泉にやってきた可能性は充分あるハズです。
「しかし、伝説の中で、温泉で傷を癒す三羽のカラスを発見したのは、熊野久須美命の合祀以前に古くからお祭りしていた大己貴命、少彦名命の二神だから、熊野由来のカラスが登場する訳はないよ。」って言われそうですね。でも伝説が新しく作られたものであるとすれば、どうでしょう。もし熊野のカラスが有馬に来た、つまり有馬の三羽ガラスが熊野信仰の影響であるとするなら、この「三羽ガラスの伝説」は湯泉神社の熊野久須美命合祀前後、或いは以後に造られたお話で、温泉を使って傷を癒す「知恵の在る三羽のカラス」は実は「熊野権現」そのものの象徴でありその発見者をあえて歴史の古い祭神である大己貴命・小彦名命の二神としてあったのは、カラスを象徴とする熊野権現の合祀の必然性を暗示させる為に考え出されたお話であったという風にも考えられるのではないでしょうか。三本足から三羽になったのは、きっと三本足だと、そのまんま なので、暗示にならないと思ったからかもしれません!?
 熊野でヤタガラスの三本足に「熊野三山」などいろんな意味を重ねた様に、有馬では三羽ガラスにどんな意味を重ねたのでしょうか。古書では湯泉神社を「三社権現(熊野権現を含めて三社の意)」、「三輪明神」とも記しており、その事も意味していたでしょうが、さらに昔から「有馬三山」と呼ばれている三つの山の事であったかも知れません。有馬温泉を取り囲む湯槽谷山(標高801m)、灰方山(標高619m)、落葉山(標高526m)です。湯槽谷山は行基上人がその山の木で湯槽を作る為の木材を切り出した事が、その名の謂れ。落葉山は仁西上人に薬師如来さまが一枚の木の葉を投げて源泉を指し示されたとの謂れから付いた名前です。 或いはもっと意味を広げ、山岳信仰においてカラスは山の神の使いであり、有馬温泉は有馬川沿いに開けた北以外の三方向(東、南、西)を山々に囲まれている事から、その「三方向」を三羽のカラスに当てたかもしれません。仏教思想や陰陽思想(今でいう「風水」)が根付いていた昔の人は、これら有馬三山、或いは有馬温泉を三方向から取り巻く山々が有馬温泉を脅威から守っていると考えたかも知れません。
 六甲山の北麓に立地し北に面していた有馬温泉にとって、東、南、西の三方向は山に囲まれ、つまり三羽のカラスに守護されており、唯一、陰陽上脅威に晒されるであろう方角は北だったのです。そこで登場させた秘密兵器が、北方の鎮め神「玄武」=カメだったというわけです。改めて湯泉神社の屋根の彫刻をご覧になってみてください。カラスとカメの有馬温泉にとっての関係性が何となく理解できそうに思えませんか。(有馬温泉とカメの深い関係は前々回のトピックスでご紹介した通り。
三羽のカラスやカメ達は有馬温泉を脅威から守っている訳です。喩えは変かもしれませんが、安倍晴明における式神、或いはウルトラセブンにおける眷属ミクラス、ウインダムのような役割なのかも知れません!

湯泉神社の三羽ガラス

屋根の彫刻:手前にカメ、奥に三羽烏(=有馬を三方向から取り囲む山並か?)

 以上は、おこがましくも私、吉高屋店主吉田の素人解釈であることをお断りしておきます。もし不備な点や間違い等お気付きの点があれば、メール等にてご指摘いただければ幸いです。

 参考文献: 藤井 清 氏 提供歴史資料
(長濃丈夫氏「有馬温泉の坊名の起源について」他)

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