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『ありまサイダー』のトレードマークの『大砲』大研究

ここでは、「『ありまサイダー』のトレードマークの『大砲』大研究」 に関する記事を紹介しています。
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旅館、酒屋、土産物屋、など業種を越えた有馬温泉の8人の仲良しスケベー集団!?「合資会社有馬八助商店」で有馬サイダーを復活させようという事になったのは2002年でした。一員である私、当店主が少々器用なのを買われラベルデザインを任されましたが、プロのデザイナーでもない私としては変にオリジナリティーに拘ったり、モダンな要素を加味する必要もなく「過去からそのまま飛び出して来た!」様な復刻的なものを作りたかったので、古い資料にデザインソースを求めました。


ラベル製作を依頼された私は有馬温泉観光協会前事務局長鷹取嘉久氏の著書『見て聞いて歩く有馬』(平成8年発行)に有馬サイダー関連の数点のラベルが紹介されているのを見つけました。その中で一番インパクトがあったのが明治から大正時代に掛けて存在した有馬鉱泉合資会社の「ARIMA TANSAN TEPPO WATER (有馬炭酸てっぽう水)」の物(図1)です。単純ですがパワーを感じさせる大砲のトレードマークに魅せられ、これしか無いと思いました。そしてこの小さな白黒図版を元に、横長楕円を一般的な縦長楕円にしたり、大砲のディテールを推測して起こしたり、文字を起こしたり変更したり(例えば、「水」は昔の崩し字だと殆どの現代人には読めないと思うので解りやすい書体に変えました。)、当時のビールラベルの現存カラー図版から色彩を推測したりして現代版有馬サイダーのラベルは完成しました。もちろん企業名も「有馬鉱泉合資会社」を「合資会社有馬八助商店」に変更しています。因みにラベルを縦長にするアドバイスと「嘗て杉ケ谷に湧出し毒水と恐れられし炭酸水が日本のサイダーの原点なり」のうんちくコピーは御所坊の金井社長の手になるもの。「サイダー」のカタカナ文字は、うちの親父に書いて貰いました。(図2)(尚、最新版ラベルには、さらに原材料、内容量等の情報が加えられています。)
有馬炭酸てっぽう水 縦5.5横6.5cmのモノクロ図版           cidera.jpg

(図1 有馬炭酸てっぽう水 縦5.5横6.5cmのモノクロ図版)    (図2 現代版有馬サイダーラベル)

この「ARIMA TANSAN TEPPO WATER (有馬炭酸てっぽう水)」は明治34年から製造された炭酸水の銘柄で、明治35年の内国勧業博覧会では銅牌、アメリカのセントルイス博覧会では金牌を得、大正2年には商標登録もされています。「てっぽう水」の名前は瓶に入れて持ち帰った炭酸水は固く栓をしないとガス圧で栓がてっぽう玉の様に飛び出すことから付けられました。明治34年の設立時から大正6年に有馬町乙倉谷に移転するまで在った炭酸泉源隣接の工場写真を見ても同じソースと思しき大砲のトレードマークの看板が掲げられています。

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(炭酸泉源隣接当時の有馬鉱泉合資会社)        (看板の拡大)
私が興味を持ったのは、「てっぽう」と聞くと普通は銃を想像すると思いきや、巨大な大砲をトレードマークにしたその感性でした。現代人の私の目から見ると殺傷兵器ではありながら、その前時代的な、如何にも大砲と言わんばかりのルックス、「てっぽう」のネーミングとのギャップにどこかユーモアを感じてしまいます。しかし、もし現代に例えるならICBMとかの弾道ミサイルを商標にする様なものなので、あまり洒落にならないと思うのですが…。富国強兵を国策とし日清(明治27~28年)、日露(明治37~明治38年)の2度の戦争に勝利したイケイケドンドン時代ですから、全然OKだったのでしょう。感性も時代背景が作り出すのだと改めて思います。
(図1の原版拡大)      cider3.jpg

(図1の原版拡大)                 (ディテールを起こして作ったトレードマーク)

さて、少し前から俄然気になり出した事があります。それは果たしてこの型の大砲は実在したのか、したのならばいつ何処で作られた如何なるスペックの物で、いつ頃何処でどんな戦いに使用された物なのかを知ってみたくなったのです。如何にも203高地辺りを連想させる様背景の線を延ばし、訳もわからず、無責任にも大砲のディテールを描き起こした責任上?知っておきたい。出来ればまだ何処かに存在していて欲しい…。そして5月のゴールデンウィークを挟んだ繁忙期でしたが合間を見てウェブ検索しました。
先ず先入観もあり「203高地」、「日露戦争」、「大砲」とかのキーワードで大砲の画像を探しまくりましたが、当時の日本軍のは巨大でズ太い不恰好なの(失礼)ばかりで、(下写真) それらしい格好の良いのは出てきません。(兵器としてのスペックは解りませんが、素人目には何となく「てっぽう水」の大砲くんは筒もスマートで、お尻のラインなどとてもカッコイイ様な気がします。)

日露戦争で活躍した二十八センチ榴弾砲  靖国神社の二十八センチ榴弾砲

(日露戦争で活躍した二十八センチ榴弾砲。右は靖国神社の同砲。佐山二郎著『大砲入門』光人社2008年刊より)

検索していると、たまたま『大砲入門陸軍兵器徹底研究』佐山二郎著光人社刊という新刊本(2008年5月12日新装版発行)が出ている事がわかりました。有名な月刊『丸』を発行している出版社の本です。恐らく日本陸軍の大砲に違いないと思った私は早速アマゾンで取り寄せました。2日後、届いた本を満を持して開きました。そしてトレードマークと似た大砲の写真を探しました。どれも帯に短し襷に長しでピンと来ませんでしたが、48ページにとてもフォルムの似た小さな写真があり、少しだけ解説が付けられていました。(下写真)
t007.jpg      克式十二センチ加農

(克式十二センチ加農。佐山二郎著『大砲入門』光人社2008年刊より)


それによると「克式十二センチ加農。同砲は前心軸砲架。日清戦争で日本軍が鹵獲した清国軍の火砲である。」となっているのみでした。調べると「克式」とはドイツの「クルップ社製」の事でした。「加農」は「カノン砲」。それ以上の事はわかりません。そこで意を決した私は、出版社の光人社さんに著者である佐山二郎氏への取次ぎ願いと、「ありまサイダー」のラベルを添付した問い合わせ内容を書き駄目元でメールしました。
すると三日後、あろう事か何と著者で軍事技術史研究家の佐山二郎先生ご本人からメールが届いたではありませんか!

専門的な事が書かれているので、メールの文面をそのまま記載させて頂きます。(著書の写真使用共々佐山先生の許可を得ています。要点の部分の色分けは私がしました。)

『光人社からメールが転送されてきました。
拙著をお買い上げいただき有難うございます。

確かに48ページの大砲に似ていますが、トレードマークの大砲とは砲床以下が違います。48ページの大砲は砲床の前方に支点があり、発射すると砲架以上が後退して反動を吸収する仕組みを有していますが、トレードマークの大砲は砲架が砲床に固定されているようです。大砲のメーカーはドイツのクルップ社(克式)で間違いありません。年式は48ページの大砲より少し古いものです。1870~80年代(筆者注:日本では明治初期)の製品でしょう。大砲の種類は要塞に据え付ける要塞重砲です。口径は10cm~15cmでしょうか。

48ページの大砲は日本でも使用しましたが、トレードマークの大砲はあまりに旧式のゆえに陸軍では使用していません。
トレードマークの大砲は何を見て描いたかですが、トレードマークのデザイン化するときに多少の省略、誇張が入っているかもしれませんが、デッサンはしっかりしていますので、全体の構造とバランスは正確だと思われます。日清戦争では清国からたくさんの大砲を鹵獲しまして、その中にはトレードマークのような大砲もあったと思いますが、戦勝記念に各地の神社仏閣に展示したのです。その大砲を見て、戦勝を祝うためと商標の「てっぽう」にかけてトレードマークにしたのではないでしょうか。
それらの大砲は今はほとんど残っていませんが、靖国神社遊就館にはこれと似た大砲が1門残っているはずです。
明治も日露戦争になりますと大砲の形が一変しますので、トレードマークの大砲は日清戦争直後に描かれたものでしょう。
以上、確たることは分かりませんが、ご参考になれば幸いです。
佐山二郎』

正に鳥肌が立つ思いです。そうですか…日本も清国も、全部がそうでは無いにしろ同じメーカーの大砲で打ち合いをしていた訳ですね。そういえば『大砲入門陸軍兵器徹底研究』の中で似たような逸話が紹介してあります。日露戦争の折、日本軍の二十八センチ榴弾砲(上に写真あり)はイタリア式でありドイツのクルップ式を採用したもの。対するロシアの二十八センチ臼砲もクルップ社から購入したもので元をただせば同じ腹から生まれた兄弟。大体のスペックは同じだったそうです。日本軍が発射した弾丸は設定の問題で相当数が機能せず不発弾となりましたが、ロシア軍はそれをせっせと収集し、信管交換の上、日本軍めがけて発射。日本軍は元々自軍の発射したその弾丸により実際に相当の損害を受けたそうです。大勢の兵隊が亡くなっているでしょうから、笑い話ではすみませんが…。

又、形が美しいと思ったトレードマークの大砲は「あまりに旧式のゆえに陸軍では使用していません。」との事ですし、巨大でズ太く不恰好と思っていた二十八センチ榴弾砲の方が新しくてうんとハイスペックだったわけです。当然かも知れませんがスペックとルックスの美しさは比例しないんですね。
そして、「トレードマークの大砲は日清戦争直後に描かれたものでしょう。」と書かれていますが、なるほど「てっぽう水」の製造開始は明治34年ですから日清戦争(明治27~28年)の6年後で、正に時代は合致します。
謎が解け興奮冷めやらぬ私に更なるサプライズが待っていました。
当サイトへの掲載許可を求めた私のメールに対し佐山二郎先生から次の様なメールが届きました。

『大砲のことをお書きになるのでしたら、ご自由にお使いください。似たような大砲の写真を添付しましたので。どれも日清戦争の戦利品です。
佐山』

今回のトピックスの最後に上記メールに添付頂いた写真をご紹介しましょう。

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佐山先生、お忙しい中、今回は本当にありがとうございました。
今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
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