fc2ブログ

『プレてっぽう水』発見!日本初のビン詰めミネラルウォーターは有馬の炭酸水だった !

ここでは、「『プレてっぽう水』発見!日本初のビン詰めミネラルウォーターは有馬の炭酸水だった !」 に関する記事を紹介しています。
今回は有馬温泉における炭酸水販売の歴史を、私が最近、新発見した事も含めて紹介したい。

p20.jpg

有馬温泉における『炭酸水』の歴史は1873年(明治6年)湯山町(明治29年から有馬町の呼称)戸長(町長)で、旅館「中の坊」継承開業者であった梶木源治郎(源次郎とも)が横浜の茶商人平野留吉に「温泉の湧く所には必ず炭酸水が湧いているはず」と教えられた事が発端だ。杉ケ谷にある、かねてより泉から発する二酸化炭素のせいで虫や小鳥を死に至らしめるという事から『毒水』として恐れられ敬遠されてきた湧水の事を思いつき、方々に水質検査依頼を求めたが、解明できずにいた。1875年(明治8年)ついに大阪に内務省司薬場が建設されたので、兵庫県庁を通して検査依頼したところ、ついに技師ベ・ド・ウェルによって有益な「炭酸水」と認められ、この水の価値は一転した。瓶に詰めても蓋が勢いよく弾けることから『てっぽう水』と呼ばれ有難がられるようになった。

杉ケ谷の炭酸泉源(当時は「冷泉」といった。)はその後、だんだんと評判が高まっていき、湧き口を石の円筒で囲い周囲を石で方形に囲うなどした。梶木の進めた開発により明治10年代には観光の名所になっており、泉源から湧き出る天然の炭酸水をコップに汲んだものが、観光客に販売されていた。当初はコップ1杯1銭であった。又時期は不明ながら、それに甘味料を添加し、まさに「サイダー」といえそうなものも販売された。オランダ人技師ゲールツ(ケーレツ)設計による洋風の炭酸水飲用所も計画されたが、明治16年に先に完成した洋風本温泉の不評から実現せず、1886年(明治19年)清涼院より移築された御殿式の上屋が完成し有馬に来浴した人の多くが、まずここに立ち寄りこの泉を服用するようになった。今残っている最も古い写真でも、杉ケ谷の炭酸泉源はこの建物となっている。また、炭酸泉源入り口右脇には梶木源治郎が明治10年6月に建てた石の道標があり正面に「炭酸水 てつぽう水ともいふ」と彫られている。途中で折れた跡があるのは、嘗て炭酸水を運んだ馬車がぶつかった為という。(道標写真は有馬温泉観光協会ホームページより)

「有馬サイダーてっぽう水」のラベルに記されている”嘗て杉ケ谷に湧出し毒水と恐れられし炭酸水が日本のサイダーの原点である。”という文句はそういう歴史を踏まえたものだ。

有馬サイダーラベル   炭酸泉源の道標   幻の炭酸水飲用所 炭酸泉源 

  炭酸泉源    炭酸泉源 炭酸泉源 炭酸泉源 

炭酸泉源 炭酸泉源 炭酸泉源 炭酸泉源

p20.jpg

但し、短絡的に有馬サイダーが日本で最初のサイダーだとは言えない。もし「サイダー」の定義を香料・甘味料入りのビン詰め炭酸水であるとするなら、「三ツ矢サイダー」のルーツである帝国鉱泉株式会社(1907年設立)の「三ツ矢印平野シャンペンサイダー」が発売されたのが1907年(明治40年) 。さらにずっとさかのぼり横浜の秋元己之助が「金線シャンペンサイダー」を売り出したのは1885年(明治18年)といわれている。横浜の居留地向けに英国人ノースレーが製造したのは何と1868年(明治元年)であったというがこれは日本人、大衆向けではないので番外として良いであろう。有馬鉱泉合資会社(1900年設立)による瓶詰め「有馬サイダー」の製造開始は1908年(明治41年)とされているから、少なくとも「大衆向け瓶詰め市販」という枠の中では分が悪い。

p20.jpg

それではサイダーのルーツである香料・甘味料入りでない「ビン詰め炭酸水」の発売が古いのはどこだろう。ネット検索も含め資料をひも解いてみた。

                             有馬炭酸水の瓶
有馬鉱泉合資会社が杉ケ谷の炭酸泉源から湧出する炭酸水に、さらに炭酸ガスを加えて炭酸水『てっぽう水』を製造販売開始したのは1900年(明治33年)だ。(上の写真は明治後期以降の有馬鉱泉合資会社の物。神戸市立博物館編『有馬の名宝』掲載写真一部分)それに先立つ1896年(明治29年)、浴医春井彰が湯山町(当時の有馬町はそう呼ばれていた)より得た炭酸水の精製販売権を、譲り受けて可能となったものだ。「醸造家と建築68」(川島智生月刊『醸界春秋』no,94)によると、同じく明治33年に笹谷竹五郎という人がサーチライトが輝く図案のラベルの炭酸水を製造販売し始めたが、こちらは数年で潰えたらしい。王冠による封入技術の普及などの時代背景に伴う一種の流行があったのだろう。

しかし、その10年前の1889年(明治23年)には既にウィルキンソン「仁王印ウォーター」が発売されている。これは1889年兵庫県宝塚の生瀬でジョン・クリフォード・ウィルキンソンが鉱泉水を発見した翌年だ。

さらにそれに先立つ1884年(明治17年)には明治屋がビン詰め炭酸水『(三ツ矢)平野水(ひらのすい)』を製造販売を開始した。1881年(明治14年)イギリス人化学者ウィリアム・ガウランドによる兵庫県多田村平野の湧出炭酸水「平野水」の発見、水質調査が淵源となったものだ。

もう一つさらに遡ると、1880年(明治13年)3月の「東京絵入り新聞」に『山城炭酸水』(京都の山城。1本20銭。)の広告が掲載されており、これが日本における初のミネラルウォーターの販売記録であるという。しかしその広告記事や資料が現存しておらず製造元や、現在のどこで作られたモノなのかなど詳しい事が全くわからない為、一般的には1884年(明治17年)の「平野水」が日本初の市販ミネラルウォーターという事になっているという。実際『山城炭酸水』でウェブ検索してもそれ以上の情報は何も得られず、同じ出典の使いまわし記事ばかりで、現在のどこにあたる場所で製造されていたのかすら分からなかった。

以上が調べで判った事だ。
えっ!では1873年(明治6年)に発見されたはずの有馬の炭酸水はどうなってるの?1900年(明治33年)の有馬鉱泉合資会社による『てっぽう水』発売までビン詰め販売される事もなく、泉源でのコップ販売だけだったのか?という疑問が沸いて来る。

p20.jpg

さてここからが私がごく最近、幸運にも収集することが出来た現物証拠を元に考察した今回の本論だ。実は先に紹介した「醸造家と建築68」(川島智生、月刊『醸界春秋』no,94)によると、1885年(明治18年)に刊行の『有馬温泉記』の表紙に竹籠や筆と並んで炭酸水というラベルが貼られた黒いガラス瓶の絵があり、それが明治10年代後半にはすでに炭酸水が名産のひとつになっていることがわかる。ただ、どのような組織によってこの絵のごとき炭酸水が生産されていたかは不明である…とのこと。要するにビン詰め炭酸水の販売もあったらしいが、出版物の挿絵に残るだけで、定かな事がわからない為、証拠能力に欠けるという事らしい。

ではもし、日本における初のミネラルウォーターの販売記録である『山城炭酸水』の広告が掲載されたという1880年(明治13年)よりもさらに過去に出版されたと確定できる印刷物に、有馬名産としてビン入り炭酸水が描かれていたら…、しかもそのラベルの実物が複数見つかったとすれば…、有馬温泉の炭酸水が日本初の市販ミネラルウォーターだという事の証拠になりうるのではないだろうか。

つい最近になって、私が手に入れた資料はいずれも梶木源治郎氏出版の『明治十年十二月新稿 有馬温冷両泉分析表』 (大阪響泉堂銅刻:袋入りの1枚もの《以下明治10年版》及び、 『明治十二年四月出版 有馬温冷両泉分析表 附雑記』 (大阪響泉堂銅刻:24ページ冊子 定価五銭)《以下明治12年版》いずれも梶木源治郎自身の三男で、大坂の森猪平の養子となり画家として大成した森琴石による細密な銅版画の挿絵で飾られている。(響泉堂は森琴石の銅版画における雅号のようなものらしい。)

どちらの版の挿絵にも、1886年(明治19年)に清涼院より移築され完成した御殿式の上屋以前の簡素な祠様のたたずまいの炭酸泉源の姿が描かれていることは興味深い。当時の森琴石の画風からやや洋風、やや立派に誇張表現されている点は差っ引かなければならないであろう。

だが、もっと興味深い事は、双方に描かれている有馬温泉の物産の挿絵を見ると明治十二年版には、十年版には描かれていないビン入り炭酸水が描かれている事だ。川島智生先生が資料とされた1885年(明治18年)刊行の『有馬温泉記』の表紙というのを私は見ていないが、おそらくこの森琴石による細密画の挿絵の転載か複製ではないだろうか。ともかく『山城炭酸水』広告より1年早い明治12年4月の印刷物に既に有馬名産として掲載されているのである!

冷泉を説明している別のページにはビンの横にコルク栓抜きの金具が描きこんである図がある。名産略図と同じくラベルには『摂州有馬 炭酸水 湯山町』とある。細かい点だがこちらのラベルには唐草模様の枠が書き込まれている。どちらが正確かと言う事ではなく、イラスト作品としての脚色だろう。イギリスのロンドン・クラウン・コルク社が、「王冠」の製造販売を開始したのは1894年と言われている。三ツ矢平野水もコルク栓に代わり王冠を使用し始めたのは1901年という記録があるそうなので1879年(明治12年)のコルク栓はうなずける。

【明治十年十二月新稿 有馬温冷両泉分析表の表紙と挿絵】

明治十年十二月新稿 有馬温冷両泉分析表 明治  明治十年十二月新稿 有馬温冷両泉分析表 冷泉図
 明治十年十二月新稿 有馬温冷両泉分析表 有馬物産略図 


【明治十二年四月出版 有馬温冷両泉分析表の表紙と挿絵】

明治十二年四月出版 有馬温冷両泉分析表 明治十年十二月新稿 有馬温冷両泉分析表 一部  明治十二年四月出版 有馬温冷両泉分析表 挿絵の炭酸水 有馬炭酸水 冷泉之図冷泉之図

明治十二年四月出版 有馬温冷両泉分析表 物産略図

p20.jpg


そしてここにさらにもう一つ、明治10年版と同時に同じ出品者(オークションの)から入手した印刷物がある。
何とそれは有馬鉱泉合資会社による『てっぽう水』よりもはるか以前に製造されていた初期の炭酸水のラベルだったのだ!

有馬炭酸水ラベル有馬炭酸水ラベル

実は先の明治10年版と同時に旧家から発見された『炭酸水ラベル』で、出品者はこれがいつ頃のラベルなのかを知るよしも無く、「旧家かたずけ品。ご覧のような明治時代~大正頃の有馬炭酸水のラベルです。5枚共に保存状態は良い物です。サイズは11センチ×9センチ。 」と記しておられた。

ではこのラベルを考証してみよう。

●ラベルイラストのエッチングによる細密で、洋風な表現は明治十年版及び明治十二年版の『有馬温冷両泉分析表』と同じく森琴石によるものとみて間違いないこと。
●ラベルに描かれている炭酸泉源の様子(どちらも噴水らしきものが泉源のお社の向かって右にある等。)が明治十二年版中の挿絵のそれと大変良く似ている点。
●明治十年版では「梶木源郎」とあり明治十二年版及び炭酸水ラベルでは「梶木源郎」となっている。
●明治十二年版にはラベルを貼ったビン入り炭酸水の挿絵がある事。

等から明治12年版の出版された明治12年4月前後の可能性が高いであろう。明治12年版中の挿絵のラベルには『摂州有馬 炭酸水 湯山町』とあり実物のラベルとは異なる点だが、これは有馬名産である事をわかりやすく端的に表現するためのイラスト上の脚色と考えて良いのではないだろうか。

製品の製作元は湯山町(当時の有馬町の呼称)戸長であった梶木源治(次)郎だ。「有馬元弘」の意味はわからない。
「官許」 「Arima soda-water 有馬炭酸水」 と表現されており下にいろいろと効用を謳っている。
曰く「慢性皮膚病、慢性膀胱カタル(ショウベンフクロノヤマイ)、神経痛、リウマチ、嘔吐、萎黄病、胃弱、チノワルキヤマイ、胃痛、貧血に起因する慢性水腫、月経不順、腎臓病、腺病、結○、キノフサグヤマイ」
ビンの大きさや形状は現物も残っておらず正確には分からないが、郷土史に詳しい藤井清氏に尋ねると、当時の酒の1升ビンは黒っぽい緑色が多く、恐らくそれを流用したのではないかとのこと。確かに明治12年版のイラストでは横のグラスに対比してやけに大きいし、実際サイダーのように小さなビンだとすぐに消費してしまい、わざわざラベルで効用を謳うには物足りなさそうだ。

このラベルの存在によって、有馬温泉における初期の炭酸水販売の存在が明らかと成った。又、製造主が杉ケ谷の炭酸泉源(冷泉)を開発した湯山町戸主梶木源治(次)郎であることも判明した。問題は、この炭酸水を梶木がどういう立場、組織で販売していたのか、1瓶いくらで、どのくらいの期間販売していたのかという事になると依然として判然としない事だ。

明治19年内務省編纂による『日本鉱泉誌全3巻』は明治13年にドイツで万国鉱泉博覧会が行われた際に編集した資料をもとにしたものといわれているが、検索してみると掲載されている全国921カ所の鉱泉リスト中、概況欄に「汲取のみ」「浴場あり」「浴場なし」「飲用」などと表記された泉源がほとんどである中、「飲用販売」と記入されているのは有馬杉ケ谷の炭酸泉と京都相楽郡笠置町の炭酸泉のみであった。恐らく相楽郡笠置町の炭酸泉につけられたブランドが、先の『山城炭酸水』であったのではないだろうか。因みに川辺郡平野村の炭酸泉には概況欄の記入がなかったのでやはり明治13年のデータということなのだろう。少なくとも明治13年時点で炭酸水を販売するという切り口は、やはり全国に先んじていた証しの一つと言えそうだ。

今回は、ついこの間、新型インフルエンザ騒動の最中、幸運にも手に入れた古資料から、凄い発見ができ、ワクワクして調べていく内に、枝葉の《うんちく》が芋ずる式に手中に入ってきたので、とても楽しかった。まだまだ分からないことの方が多いので、今後もアンテナを張りめぐらせておきたい。




スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2009/09/03(木) 12:40 | | #[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://arimaonsenuntiku.blog38.fc2.com/tb.php/27-e16d5fc3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック