今や私どものような観光地のショップでも定番アイテムになっているのが「風水グッズ」です。実を言うと売れるから置いているけどホントの所どうなんでしょう? そこで、今回は「風水」について調べてみました。すると有馬にまつわる意外な(?)事実が!



風水グッズ
元々「風水説」は古代中国(前漢頃)に起こった地理学でした。都市、集落、住居、墓、庭園を作る時に最適な場所や方向など選定する方法、空間デザインの手法とも言えるもので、「気」説、五行説、陰陽説、又それらに基づく周易に基づいています。
*五行説 物事の成り立ちを木火土金水の5種類の要素で説明しようとする説。当時知られていた太陽系の5つの惑星にその5つを当てはめその運動の関係性をすべての事象と対応させようとしました。例えば【木】は「東」「春」「緑」、【火】は「南」「夏」「紅」、【土】は「中央」「土用」「黄」、【金】は「西」「秋」「白」、【水】は「北」「冬」「黒」等。そして5つの要素がお互いを生かすようにバランスする事【相生】が良いとされました。
*陰陽説 すべての事象を「陰」と「陽」の2つの働きで解釈します。能動的な性質や、物事が分化・発展する過程を「陽」、受動的な性質や、分かれている物を統一し根源の状態に戻そうとする働きを「陰」とし、それぞれの働きをバランスさせることが良いとする。陰陽説によると男は陽で女は陰になります。又動的な水は陽で静的な山は陰です。陰陽説と五行説は中国の戦国時代頃に「陰陽五行説」へと統合されました。
*周易 陰陽の組み合わせでできる八卦と方位を対応させて吉凶を占う術。
風水説の根幹を成すこれらの理論は、日本にも、古くは仏教伝来と同時期に伝わり「陰陽術」として使われて来ました。平安時代の「陰陽師」安倍晴明は特に有名です。(但し「風水」なる言葉は後世の中国のものです。)
当店でも売っている風水カラーグッズも、どうやら意味的には風水説の根本理論である陰陽五行説における陰陽の「気」のバランスを取り、より望ましい環境を作り出す為のグッズのようです。(成る程!巧く考えたものですね。作る側、売る側はもちろん儲ける為なのに、購買者の気持ち一つで効果を発揮するんですから正に「気」!)
ところで地理学としての「風水説」の目的は、周囲の山・水を見て、「龍脈」に沿って地中を流れる「生気」が地上に湧き出だすところである「穴」、穴の前の「明堂」を選び、そこに何かを作り「生気」をあびて、幸福と繁栄を得ようというものです。地上に湧き出した「生気」は風に乗ると散らばってしまう。しかし水によって区切ればそこに留まるといった理屈を積み重ね理想的な立地を探し当てます。理想的な『蔵風徳水』の立地を表したのが山局図です。(「風水説」澁谷鎮明氏1994年より引用)「穴」は「主山」を背にして左側の山並である「青龍」、右側の山並である「白虎」に囲まれており、「生気」が風で散る事ガ有りません。又風水では、「穴」が2重3重に囲まれているのが良いとします。


山局図 有馬温泉
これって有馬温泉じゃありませんか!ご存知のように有馬温泉は三方を山に囲まれたすり鉢状の盆地で、わずかに北が開けています。北と南が逆である事を除き、まさに風水説の理想的立地である山局図通りの地形です。六甲山が「宗山」なら射場山は「主山」(稲荷神社が在ります)、真ん中の円錐型の愛宕山は「頭脳」その麓の「穴」から温泉「生気」が湧き出し、(金の湯、天神泉源他)湯泉神社、温泉寺、極楽寺、念仏寺など宗教的な建造物が集中しています。温泉街は「明堂」になります。左側の川は六甲川、右側の川は滝川です。二つの川は「水口」で交わり有馬川になります。「水口」付近には伝説の巨石「袂石」や「佛座岩」「亀の尾の滝」などがあります。「青龍」は灰形山、落葉山(山上に「妙見寺」があります。)「白虎」は歯朶ケ尾山(麓にかつて瑞宝寺が在りました。現在は公園が紅葉の名所です。)、鉄砲山です。「案山」にはかつて聖天堂がありました。
そしてそれらの陰陽的な条件を満たしていた事が、当『有馬トピックス』の「有馬温泉と桜」の記事でも述べたように過去に有馬全体が信仰の場であり霊場であった大きな理由かも知れません。何となれば、修行の必須要素でもある「滝」や「愛宕山」「天狗岩」「妙見堂」「聖天堂」など陰陽思想の影響を受けた神仏混合の山岳宗教である「修験道」の痕跡がやたら多いからです。(図は「見て聞いて歩く有馬」鷹取嘉久1996年)

天神社より正面に愛宕山を望む
愛宕山頂上の「天狗岩」
「頭脳」である愛宕山は、有馬の中でも特に神秘的な場所で、一説には六甲山系の火山の一つであったとも言われています。頂上には火山の噴出によって生じたと思われる安山岩の岩塊「天狗岩」が横たわり、火の神愛宕のヒモロギ(神の宿る霊石)として大古から崇められて来たとも云われています(陰陽の影響以前)。又奈良時代以降は火伏神愛宕として修験者に信仰されています。

愛宕山頂上の紅葉。すでに色付いていました。
他にも陰陽の影響を受けている物を探してみましょう。有馬への主な古道の入り口には、悪霊の進入を防ぐための法塔が今も建っており「南無妙法蓮華経」と刻まれていますし(古さは判然としません。一部は江戸時代の地図に既に載っています。)、天神社は、本温泉(現在の金の湯)の艮(丑寅、東北)に当たり本温泉の鬼門よけとなっています。調べて行く内に何と有馬の艮に当たる場所(現在わんわんランドの東の古道脇)にその名も「晴明地蔵」なるものが在る事が判明。完全に陰陽が意識されている!(恐らく安倍晴明。少なくとも江戸時代の地図には記載されています。現在は私有地内で立ち入り不可との事で未探査。)

本温泉の鬼門よけとなっている天神社
現代に於いて「風水説」にどれほどの信憑性があるのか、全くの迷信なのかは分かりませんが、有馬の場合「生気」を「温泉」におきかえてみれば分かりやすく、少なくとも「不思議な効き目を持った温泉」によって命を与えられ、今も栄えている町である事を考えると、あながち的外れでも無いようにも感じます。「風水説」における「生気」は有馬においては「温泉」であったという実に分かり易いオチでいかがでしょう。

旧三田街道にある法塔(藤井清編「湯の花物語」)
追記 ご承知の通り、平成7年(1995年)1月17日に阪神淡路大震災が起きました。有馬温泉の被害報道はあまりされませんでしたが、実は有馬温泉を囲む東西の山の稜線にそびえる最新建築の最大級宿泊施設は、いずれも建て替えを要する大被害を受けました。それに対し有馬の街中では、屋根の重い寺院や神社が修復を要したくらいで、かなり古い木造3階建て建築ですら軽微な被害しか受けず今も健在です。
ひょっとしたら「青龍」と「白虎」が身をもって「明堂」である有馬の街を守ったのかも知れません!やっぱり当たってるのかも…
(有馬温泉の歴史に詳しい郷土史研究家藤井清さんにいろいろ教えていただきました。感謝)




風水グッズ
元々「風水説」は古代中国(前漢頃)に起こった地理学でした。都市、集落、住居、墓、庭園を作る時に最適な場所や方向など選定する方法、空間デザインの手法とも言えるもので、「気」説、五行説、陰陽説、又それらに基づく周易に基づいています。
*五行説 物事の成り立ちを木火土金水の5種類の要素で説明しようとする説。当時知られていた太陽系の5つの惑星にその5つを当てはめその運動の関係性をすべての事象と対応させようとしました。例えば【木】は「東」「春」「緑」、【火】は「南」「夏」「紅」、【土】は「中央」「土用」「黄」、【金】は「西」「秋」「白」、【水】は「北」「冬」「黒」等。そして5つの要素がお互いを生かすようにバランスする事【相生】が良いとされました。
*陰陽説 すべての事象を「陰」と「陽」の2つの働きで解釈します。能動的な性質や、物事が分化・発展する過程を「陽」、受動的な性質や、分かれている物を統一し根源の状態に戻そうとする働きを「陰」とし、それぞれの働きをバランスさせることが良いとする。陰陽説によると男は陽で女は陰になります。又動的な水は陽で静的な山は陰です。陰陽説と五行説は中国の戦国時代頃に「陰陽五行説」へと統合されました。
*周易 陰陽の組み合わせでできる八卦と方位を対応させて吉凶を占う術。
風水説の根幹を成すこれらの理論は、日本にも、古くは仏教伝来と同時期に伝わり「陰陽術」として使われて来ました。平安時代の「陰陽師」安倍晴明は特に有名です。(但し「風水」なる言葉は後世の中国のものです。)
当店でも売っている風水カラーグッズも、どうやら意味的には風水説の根本理論である陰陽五行説における陰陽の「気」のバランスを取り、より望ましい環境を作り出す為のグッズのようです。(成る程!巧く考えたものですね。作る側、売る側はもちろん儲ける為なのに、購買者の気持ち一つで効果を発揮するんですから正に「気」!)
ところで地理学としての「風水説」の目的は、周囲の山・水を見て、「龍脈」に沿って地中を流れる「生気」が地上に湧き出だすところである「穴」、穴の前の「明堂」を選び、そこに何かを作り「生気」をあびて、幸福と繁栄を得ようというものです。地上に湧き出した「生気」は風に乗ると散らばってしまう。しかし水によって区切ればそこに留まるといった理屈を積み重ね理想的な立地を探し当てます。理想的な『蔵風徳水』の立地を表したのが山局図です。(「風水説」澁谷鎮明氏1994年より引用)「穴」は「主山」を背にして左側の山並である「青龍」、右側の山並である「白虎」に囲まれており、「生気」が風で散る事ガ有りません。又風水では、「穴」が2重3重に囲まれているのが良いとします。


山局図 有馬温泉
これって有馬温泉じゃありませんか!ご存知のように有馬温泉は三方を山に囲まれたすり鉢状の盆地で、わずかに北が開けています。北と南が逆である事を除き、まさに風水説の理想的立地である山局図通りの地形です。六甲山が「宗山」なら射場山は「主山」(稲荷神社が在ります)、真ん中の円錐型の愛宕山は「頭脳」その麓の「穴」から温泉「生気」が湧き出し、(金の湯、天神泉源他)湯泉神社、温泉寺、極楽寺、念仏寺など宗教的な建造物が集中しています。温泉街は「明堂」になります。左側の川は六甲川、右側の川は滝川です。二つの川は「水口」で交わり有馬川になります。「水口」付近には伝説の巨石「袂石」や「佛座岩」「亀の尾の滝」などがあります。「青龍」は灰形山、落葉山(山上に「妙見寺」があります。)「白虎」は歯朶ケ尾山(麓にかつて瑞宝寺が在りました。現在は公園が紅葉の名所です。)、鉄砲山です。「案山」にはかつて聖天堂がありました。
そしてそれらの陰陽的な条件を満たしていた事が、当『有馬トピックス』の「有馬温泉と桜」の記事でも述べたように過去に有馬全体が信仰の場であり霊場であった大きな理由かも知れません。何となれば、修行の必須要素でもある「滝」や「愛宕山」「天狗岩」「妙見堂」「聖天堂」など陰陽思想の影響を受けた神仏混合の山岳宗教である「修験道」の痕跡がやたら多いからです。(図は「見て聞いて歩く有馬」鷹取嘉久1996年)

天神社より正面に愛宕山を望む
愛宕山頂上の「天狗岩」
「頭脳」である愛宕山は、有馬の中でも特に神秘的な場所で、一説には六甲山系の火山の一つであったとも言われています。頂上には火山の噴出によって生じたと思われる安山岩の岩塊「天狗岩」が横たわり、火の神愛宕のヒモロギ(神の宿る霊石)として大古から崇められて来たとも云われています(陰陽の影響以前)。又奈良時代以降は火伏神愛宕として修験者に信仰されています。

愛宕山頂上の紅葉。すでに色付いていました。
他にも陰陽の影響を受けている物を探してみましょう。有馬への主な古道の入り口には、悪霊の進入を防ぐための法塔が今も建っており「南無妙法蓮華経」と刻まれていますし(古さは判然としません。一部は江戸時代の地図に既に載っています。)、天神社は、本温泉(現在の金の湯)の艮(丑寅、東北)に当たり本温泉の鬼門よけとなっています。調べて行く内に何と有馬の艮に当たる場所(現在わんわんランドの東の古道脇)にその名も「晴明地蔵」なるものが在る事が判明。完全に陰陽が意識されている!(恐らく安倍晴明。少なくとも江戸時代の地図には記載されています。現在は私有地内で立ち入り不可との事で未探査。)

本温泉の鬼門よけとなっている天神社
現代に於いて「風水説」にどれほどの信憑性があるのか、全くの迷信なのかは分かりませんが、有馬の場合「生気」を「温泉」におきかえてみれば分かりやすく、少なくとも「不思議な効き目を持った温泉」によって命を与えられ、今も栄えている町である事を考えると、あながち的外れでも無いようにも感じます。「風水説」における「生気」は有馬においては「温泉」であったという実に分かり易いオチでいかがでしょう。

旧三田街道にある法塔(藤井清編「湯の花物語」)
追記 ご承知の通り、平成7年(1995年)1月17日に阪神淡路大震災が起きました。有馬温泉の被害報道はあまりされませんでしたが、実は有馬温泉を囲む東西の山の稜線にそびえる最新建築の最大級宿泊施設は、いずれも建て替えを要する大被害を受けました。それに対し有馬の街中では、屋根の重い寺院や神社が修復を要したくらいで、かなり古い木造3階建て建築ですら軽微な被害しか受けず今も健在です。
ひょっとしたら「青龍」と「白虎」が身をもって「明堂」である有馬の街を守ったのかも知れません!やっぱり当たってるのかも…
(有馬温泉の歴史に詳しい郷土史研究家藤井清さんにいろいろ教えていただきました。感謝)
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
http://arimaonsenuntiku.blog38.fc2.com/tb.php/6-edeaf49b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック