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タイムスリップ

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今回は当店、吉高屋謹製の『とび出す絵はがきステレオヴィジョン有馬温泉』の写真をご紹介しましょう。昭和30年頃に製作された物で(先代の仕事)、既に廃盤品なので当店にも在庫はこの現物1つしかありません(たぶん)。金額は不明ですが、普通の絵はがきより価格も高めだった為、実を言うとあんまり売れなかったらしいです。聞くと十年ちょと前に、デッドストックすべてを物色に来た骨董屋さんにダンボール一箱幾らかのタダみたいな値段で叩き売ったらしいです。ひょっとしたら今でも骨董市か何かで売られているかも知れません。赤と青のシンプルな色使いのレトロなパッケージに、ことさら「吉高屋選定立体写真傑作集」と大層に銘打たれている辺りのセンスに、ちょっと笑ってしまいます。パッケージのデザインから見ても、恐らくこれと同様の地名違いのバージョンがいろんな観光地に存在したのであろう事が想像できます。切手貼付欄に「通信文がないときは八円」と印刷されているのも時代を感じさせます。
 只、今となっては見ようと思っても絶対に見る事の出来ない昭和30年頃の長閑な有馬温泉を、ステレオビューアで見る事によって、立体感たっぷりに見ることが出来る、とても貴重な立体写真という訳です。

 有馬温泉立体写真有馬温泉立体写真 
組み立て式の覗きメガネはちぎれてしまっています。

有馬温泉立体写真 有馬川沿い 有馬川沿い

有馬川沿いの桜並木、今のねね橋辺りからのショット。向うに見える橋は大古橋(現太閤橋)。その向うに当店、吉高屋。手前に続く丸太風の手すりはモルタル造り。左は芙蓉旅館(今の有馬御苑)。手前、風になびく木は、温泉街ではお決まりの柳。車も少なく、のどかそうです。

有馬温泉立体写真 有馬入り口  有馬温泉入り口

今の太閤通り。バスの形が丸っこくてカワイイです。向かって右側のお店は全部お土産物屋さん。突き当たりに御所坊旅館。向うの山は湯槽谷山。覗きメガメで見るとバスも手前の人物群も立体的に見えます。
 左側の塀で囲まれた場所は旅館山月の跡で、後に神戸銀行となり、現在は観光総合案内所になっています。

有馬温泉立体写真 桜 有馬の渓流

向かって右側の兵衛旅館本館と左側の御所坊旅館の間に流れている滝川のせせらぎ。満開の櫻が色を添えています。覗きメガメで見ると川面に向かって伸びる櫻の枝がとても立体的です。

有馬温泉立体写真 俯瞰写真 有馬温泉全景

落葉山から一望した有馬の街。近代的なスタイルのビル等は皆無に見えます。覗きメガメで見ると手前の木々と街の遠近のコントラストが効果的です。

有馬温泉立体写真  鼓ヶ滝 有馬温泉 鼓ヶ滝
鼓ケ滝。当時は向かって左に階段があり滝の上まで登れました。その先を右に進んでいくと次の写真の夫婦滝に突き当たります。覗きメガネで見ると、手前が迫り出してきて迫力です。

有馬温泉立体写真 夫婦滝 有馬温泉夫婦滝

今は鼓ケ滝の上には登れないので見ることが出来ない夫婦滝。現在の様子は、当コラム「有馬温泉トピックス」の「有馬秘境探検の巻」をご覧下さい。
(有馬秘境探検の巻)
この画像では良く分かりませんが、覗きメガネで見ると迫り出す岩塊や上の方から滴り落ちているたくさんの水滴がとても立体的に見えます。

有馬温泉立体写真蓬莱峡 蓬莱峡
有馬から宝塚へ行く途中にある蓬莱峡。風化した岩肌がむき出しになった渓谷が見事で、良く時代劇の撮影などにも利用される、知る人ぞ知る景勝地です。当時は観光の目玉の一つだったようです。

有馬温泉立体写真  炭酸泉 炭酸湧水所

炭酸水湧出所。この場所は今の炭酸泉源ではなく、現在かんぽの宿の道向かいに、かつてあった泉源。この立体写真も人物の立体感が際立っています。炭酸水が美味しそうです。
 (有馬のご年配の方にしか意味の無いマイナー情報ですが、炭酸水を汲んでいるモデルの女性はおハルさんと言う小学校近くの文房具店の女主人で愛犬リキちゃんは子供達の人気者でした。私も微かに記憶しています。)

立体写真は、現在の目で見ても新鮮で、楽しいです。覗きメガネさえあれば、その世界に入っていけるのでもっと流行ればいいと思います。(平行法による、レンズ付きのステレオビューアは、市販されていたり、時々写真とセットで景品として頒布されていたりします。最近では映画「ALWAYS三丁目の夕日」豪華版DVDの封入特典で付いていました。)
 コレクターがもっと多ければ復刻再販(もちろんレンズ付きで)するんですが…。レトロ好きの私としては是非作ってみたいのですが、コストと需要度を考えると恐らく、かつてと同じテツを踏みそうな気が!んんん微妙!
 もしステレオビューアをお持ちでしたらそれを通して覗いてみてください。画像小さくて恐縮ですが、ちゃんと立体に見えます。昭和30年頃の有馬温泉にタイムトラベル出来ますよ! 
今回は有馬温泉の玄関口の有馬川沿いの移り変わりを見てみようと思います。
有馬川沿い
 さてこの写真は前回の夢二の見た大正初期のものですね。この後どんな風に変わって行き今日に繋がっているのでしょう。
有馬川沿い
この絵葉書は大正後期頃です。護岸工事がより進んでいるように見えます。
 現在有馬御苑の場所の石垣も変わっていますし別荘と思われる建物も2階建ての大きな物になっています。中の坊の建物も大きくなっています。

有馬川沿い
昭和初期と思われます。
 街灯はガス灯でしょうか。画面中央辺り遠くに見える木がかなり大きくなっているのがわかります。道路沿いの手すりが無くなり石造りの壁面になっています。六甲川と滝川の合流点、さど屋の手前に「赤橋」が架かっています。これは後の昭和12年の阪神大風水害で消滅します。(現在はまた「ねね橋」として橋が復活していますね。)
有馬温泉俯瞰写真
この絵葉書も昭和初期です。
 「赤橋」(高橋とも)が架かっていますから、水害前です。神有電車駅前の吉高屋はアールデコ調の壁面の木造モルタル造りに変わっています。上流側に隣接の日本家屋も吉高屋ですが、例の水害で倒壊し、消滅してしまいました。 

有馬川沿い
昭和20年代頃
阪神大風水害後の護岸工事で、石垣はほぼ現在の形の様です。
有馬川沿い 同じく昭和20年代頃
良く見ると可愛らしいランドセルの子供たちの楽しそうな下校姿が写っています。川沿いには、植えられたばかりの桜や柳の若い木が並んでいます。

昭和30年代の有馬温泉
昭和30年代
満開の桜並木。手すりも木調のモルタルで、雰囲気があります。やっぱり木のある風景っていいですね。それだけで癒されます。
夜の有馬温泉
昭和40年頃
効果的な撮影もあってか、ずいぶん賑わっていそうな雰囲気ですね。いったい何時頃なんでしょう。
昭和の有馬温泉
昭和40年代
この頃になると一気にビルが建ち始めます。そういう時代だったのですね。

現在の有馬温泉太閤橋
そして現代。
昨年の桜祭りの様子です。太古橋も「太閤橋」に変更され3車線もあるずいぶん立派な橋に成りました。先人の試行錯誤、積み重ねの上にそして何よりお越しいただいたお客様のお陰で今の有馬温泉の姿があります。明日の有馬温泉がより良い姿でお客様をお迎え出来ますように。がんばります。
では又、違った切り口で。
     竹久夢二と彦乃      竹久夢二の絵
(左写真は夢二と彦乃。現代日本美人画全集8竹久夢二集英社より。右は『山へよする』有馬川の詩の挿絵。有馬の風景かどうかは判りません。)

奔放な愛の世界に生きた、大正ロマンで有名な画家竹久夢二を知らない人はいないでしょう。
若くして名声を得た人気アーティストでした。自らのデザイングッズショップ「港屋」に出入りする夢二ファンの画学生で、日本橋の紙問屋の一人娘だった12歳下の彦乃との恋の逃避行の話も当時から世間の知る所でした。彦乃は大正7年3月以降、何度も父親によって夢二と引き離された末、最後は夢二に会う事も許されず大正9年1月胸の病で23歳9ヶ月の儚い生涯を閉じます。そして夢二にとって永遠の女性となった訳です。この悲恋物語もご存知の方は多いと思います。
ところで、夢二と彦乃は、彦乃の父親が二人を引き離す直前の大正6年12月から大正7年1月にかけて、有馬温泉に約1ヶ月間程滞在していた事はご存知でしょうか。大正8年2月に出版された夢二の詩集『山へよする』は彦乃に捧げられた愛の記述でしたが、その中に有馬が詠み込まれた詩があります。

有馬笠笠に姿はつつめども わが恋妻は人も知りきや
有馬川瀬々に浮く波ゆらゆらに あやふく心きみにのりつつ

せつなさが溢れています。父親によって引き離された直後から彦乃は病魔に蝕まれて行きましたから、有馬滞在は二人の人生で一番楽しかった最後の時期辺りだったことになります。
 ところで夢二と彦乃の目に映った有馬の街ってどんな街だったのでしょう?
 やっぱり大正モダンの「ハイカラ」文化が花開いていたのでしょうか?最もタイムスリップして行ってみたい有馬のひとつです。ということで、今回は大正初期の有馬を散歩しようと思います。 

有馬温泉 吉高屋 温泉堂
今回のスタート地点は大正初期の吉高屋です。有馬では珍しい茅葺屋根で、後の昭和3年に神有電車の開業に合わせて、駅舎に合わせたモダンな意匠の木造モルタル建築に建て替えられました。今と同じ場所ですが、当時は神有電車も在りませんから、街外れのずいぶん寂しい場所だったに違いありません。元々本温泉付近から移転したらしいのですが、いつの事か記録にありません。遠くに見える石垣は現在、有馬御苑が建っている辺りです。ではもう少し前方へ進んで行きましょう。

有馬川沿い
大正初期頃の絵葉書です。有馬を発見したという伝説の三羽烏のスタンプが捺されています。今の太閤橋辺りからのアングルです。大正4年に護岸工事が完成し同年の有馬軽便鉄道開通のために道路整備された後と思われます。向うからクラシックカー、いえ最新式の自動車がやって来ました。上の吉高屋の写真と同じ石垣と木が見えていますからほぼ同じ時代である事がわかります。写真突き当たりは左側からの六甲川と右側からの滝川の合流点で、有馬川の始点です。今兵衛向陽閣の喫茶ギャラリーのある場所に「さどや」という宿屋が建っています。道なりに右側の滝川沿い(昭和3年に暗渠化され、道路になりました。今の太閤通り)に進んで行つて見ましょう。
有馬温泉 高等温泉
御所坊の手前に太古橋があり、高等温泉がありました。(今の阪急バスの駅の場所)左の橋が太古橋。今のおみやげ店の若狭屋さん側からの写真です。写真中央の高等温泉は当時の本温泉と同じ明治36年に建築された高級家族風呂で本温泉より料金が高く一人30銭。大正15年の本温泉改築(3階建、一般風呂と家族風呂を併設)と同時に廃止され取り壊されました。橋の対岸の道路沿いの手すりの意匠がひとつ上の写真と同じで、道続きになっているのがわかります。(今、有馬市や酒市場のある太閤通り商店街の場所) 写真右側から坂を上ると本温泉です。
有馬温泉 本温泉
明治36年に改築竣工した本温泉。写真は二の湯側(今の足湯のある側)で、湯本坂方向から見たところです。モダンな洋風の鉄柵と重々しい日本建築との組み合わせがハイカラな有馬らしくていいですね。後の大正15年解体され、写真奥側に見える隣接の二階坊旅館を町が買収、旧本温泉と合わせた敷地に3階建ての新本温泉を造りました。(本温泉の変遷は、改めて紹介したいと思います。)さて写真奥の二階坊の向うを鼓ケ滝方面に向かいましょう。
杉本ホテル
坂を上り切る辺りに杉本ホテルが見えてきました。明治10年頃から昭和14年頃までの間在った外人専用ホテルです。香港・上海経由のアメリカ人が中心で、滞在期は殆ど6月から9月の4ヶ月間だったのでコックも季節雇いでした。当時の主人杉本よねは英語がペラペラだったそうです。大正11年版鉄道旅行案内(鉄道省)には有馬ホテル、杉本ホテル、キングジョージホテルが外人専門ホテルとして紹介されています。なにしろ当時の有馬は軽井沢・雲仙と並び、外国人の三大避暑地だったのです。それでは外人専用ホテル繋がりで、今度は、上から2枚目の写真の有馬川の始点を六甲川方面に川沿いの坂道(新道と呼ばれている。)を登って行きましょう。
有馬ホテル
見えて来たのは、有馬ホテル。今の有明泉源の横辺りです。24部屋在りました。ビヤホールでは度々ダンスパーティーが催され、ビリヤードやベビーゴルフも楽しめました。経営権は推移しましたが、大正4年に同じ有馬の増田ホテルの手に移りました。後の昭和2年にはここで中国の蒋介石と宋美齢がお見合いをし婚約が成立しました。さらに後の昭和13年阪神大風水害で損壊、一部流失し閉鎖するに至りました。何となく植民地風ですね。別の文化の香りがします。
(有馬ホテルの写真は和田克己編著、神戸新聞総合出版センター「むかしの神戸」より)

有馬温泉 ラジウム温泉
今度は吉高屋から有馬川沿いを下流方向〔北向き)に200メートル程歩いて見ましょう。大正4年にオープンした町営のラジューム温泉が見えてきました。インド、サラセン様式で重厚です。流行だったのでしょうか、或いは当時の有馬の人が新しいモノ好きだったのでしょうか。すばらしい館内や庭園は改めてご紹介したいと思います。後の昭和4年、経営不振で神有電車に無償貸与され、さらに後の昭和13年阪神大風水害で土砂に埋まり使用不可と成り取り壊されてしまいました。2009年現在、マンション(エイジングコート)建設中の場所です。では、さらに川沿いを下り、次が今回の終着点です。
省線 有馬温泉駅舎
辿り着いたのは、これも大正4年にオープンしたばかりの有馬軽便鉄道の有馬駅です。これぞ大正ロマンと言った感じのモダン建築ですね。駅前には旅館の案内所が立ち並び人力車も活躍しています。大正8年には国有化されましたが、かなり後、戦時中の昭和18年、国策により廃止されてしまいました。車両は、篠山線での軍事輸送のお役に立ったそうです。駅舎は後に老朽化の為取り壊され、跡地には昭和42年先山クリニックが開業しました。ではそろそろ今回の散歩を終わりましょう。
 あの竹久夢二の目に映った有馬温泉は、やっぱり、こんな大正ロマン溢れる有馬の街だったという訳です。今でもこれらの古い建物が残っていたらどんなに素敵でしょう。でも天変地異とか戦争とか経営とかのどうしようもないネガティブな理由によっても、街の様子は変わっていくんですね。名残惜しい大正時代にお別れし、次回はまた違う切り口で昔を散歩したいと思います。
昔の写真を見ていると引き込まれてしまいそうになりませんか?
写真で見る昔の有馬温泉。私ども有馬で生まれ育っている者でも全然知らなかった有馬の街がそこにあります。同じ場所なのに人は少しずつ入れ替わって行きます。100年も遡れば同じ場所に住んでいる人でさえ知らない人ばかりです。どんな人がどんな思いを持って有馬に来て、温泉に入ったのでしょう。又住んで商いをしていたのでしょう。一枚の古い写真の片隅から昔の世界にタイムスリップしてみましょう。今回は有馬の街並みを俯瞰した写真をご紹介します。
有馬温泉俯瞰写真明治30年頃か。太閤通りは川でした。長閑でいいですね。(建物の名前は当方の推測で入れていますので、もし間違っていたらお許しを。又ご指摘をいただければ幸いです。)(その後、御所坊手前の太古橋の素材形状から明治24年以前である事が判明しました。)

有馬温泉俯瞰写真《明治30年代頃》 絵葉書です。上の写真より左上流側から。僅かの間に建物が増えています。手前に奥の坊、中の坊、愛宕山麓にキング・ジョージホテルが出来ています。

有馬温泉俯瞰写真《明治40年代頃》善福寺上からの眺め。下大坊右の別荘は今のカフェ・ド・ボウの場所。

有馬温泉俯瞰写真雪景色が良く似合います。下大坊(今の山下薬局)と本温泉の間の二階坊が後に立ち退き道幅が拡張されました。
有馬温泉俯瞰写真《大正後期》落葉山より。有馬が六甲山の山腹に位置するのが良くわかるような映り方です。

有馬温泉俯瞰写真《昭和初期》右山腹に炭酸ホテルが見える
有馬温泉俯瞰写真
《昭和20年代》絵葉書。本温泉右の一帯が、火災により焼け跡になっている。次回も違った角度から昔の写真を紹介します。